【実録】自称プログラマーが稼げるようになるまでの体験談

この記事の監修者

基礎知識も無いままにPythonのフレームワークであるDjangoを使ったアプリ開発を独学で完成させたことをきっかけに、2020年からフリーのプログラマーとして活動開始。現在はクラウドソーシングを活用して、Webコンテンツの開発、執筆作業を中心に、個人から企業まで幅広いクライアントからの依頼をこなしている。好きなプログラミング言語はPython。AWSを活用したインフラ構築やDevOpsの導入についても追求している。

目次

はじめに

プログラマーとはエンジニアが設計した設計図をもとに、指示に沿ってプログラムを組み立てるのが主な役割になります。その役割にはフロントエンド、バックエンド、テスト、インフラ構築など、さまざまなものが任されることになるわけですが、会社員として雇われている人と、フリーランスとして活動する人とでは、お金、人間関係、時間などの制約には大きな違いが生まれます。

私はフリーランスのプログラマーとして活動を続けていますが、強いていえば「自称プログラマー」といった捉え方をして頂けると幸いです。自分でやりたくてやっているし、仕事が得られなくてもいい。でも、ちゃんと仕事がやれるレベルにまでは実力を備えておこうという目標があります。

この話に目を通してもらうことで、プログラミングを苦痛に感じることなく、楽しく続けられるようになる人が増えると嬉しいです。そして、自分なりの解釈で自由にプログラマー人生を歩んでもらえると幸いです。

活動開始から現在に至るまで

甲斐義崇の仕事

まず私の自己紹介も兼ねて、解説しておきます。私は現在、フリーランスでプログラミングをしたり、ライターとしての活動や盆栽業を営んでいます。

Webサイトを制作したり、電子書籍やWebメディア向けの記事を作成するのが主な仕事になっています。

同時に二人の娘の子育てもやっていて、大したことをしているわけではないのですが、毎日在宅ワーカーとして働いているので、子どもの送り迎えだったり、ご飯の支度、掃除・洗濯、愛犬の世話など家事・育児も同時進行で行なっています。

妻の協力もあり、無理のない生活を送ることができるような環境づくりを心がけるようにしていて、あとでまた解説しますが、苦手なことをできるだけ取り除けるように夫婦間では得意なことでお互いをサポートし合えるような関係性を続けられるようにしています。

簡単な自己紹介はここまでにしておいて、ここからは私のメインの活動のひとつでもあるプログラマーとして、そしてフリーランスとして、どのように仕事を作っているのか、仕事の話だけでなく、環境づくりや思考法、将来の展望などに関しても、詳しく解説していきます。

「自称プログラマー」を名乗る理由

なぜ私が自称プログラマーを名乗っているのかというと、今現在の立ち位置を表しやすいからです。プログラマーやエンジニアは、持ち合わせている知識や技術を正確に相手に伝えるには、実際のところ資格を取得したり、学位を取ることが一番だと考えています。

海外などでは主に大学などに進学をし、ちゃんとコンピューターサイエンス学科などを学んだ経緯をたどることがなければ、自分の立ち位置を「エンジニアである」と名乗るのは場合によっては違法である、とまで考えられていることもあります。

それほど海外において、特にエンジニアに関してはそれだけレベルの高い職業であると考えられていて、日本のように誰でも気軽にエンジニアを名乗ることは容認されていないのです。

私はプログラマーも同じように考えた方がいい気がしています。プログラマーはエンジニアよりも下層階級の仕事をこなすことが主な仕事にはなるものの、フリーランスとしての活動においては、より広い範囲の知識や技術を身につけておく必要があるとも考えています。

なので、エンジニアレベルのプログラマーを目指すべきだとは考えていますが、とはいえ海外の人たちと同じように「エンジニアである」という証明ができるだけの資格を取得したり、学位を取るようなことを今からやろうとするのも、時間や労力的なことを考えると難しい問題です。

ですが、確かな知識や技術を身につけ、それをはっきりと相手に示すことができさえすれば、別に資格や学位などがなくても仕事が得られるということを、特に最近になり実感することが増えています。

なので「自称プログラマー」であったとしても、技術的なレベルが世界レベルのエンジニア同等のものであれば、フリーランスとしての活動はちゃんと続けられるという考えを持っています。

と、いう話は方便でもあって、実際のところ、その名付けの親は妻だったりするのです。妻が書道の紙に筆を使って、私の肩書きを「自称プログラマー」と書き記したことが全ての始まりでもあったのでした。

仕事は全てフルリモート

自称プログラマーとしての仕事は、全てフルリモートで行なっています。特に最近は専門知識を活かしてライター業に集中することが増えています。

クラウドソーシングを活用してのWeb制作案件を得ようとしている時期もありました。しかし、そこばかりに目を向けているよりも、自分の学んだ知識を活かせる場があることに気づいてからは、より広い範囲に視野を広げることで、仕事を得やすくすることができるようになりました。

今でもWeb制作に関して言うと、多くのクリエイターたちが仕事を取り合っているのがよく分かるはずです。他の案件に比べると明らかに提案数は増加傾向にあり、それは近年プログラマーとしての活動を始める人が増えていることだったり、副業として取り組む人が増えたことが関係しているようです。

そんなレッドオーシャンとも言える市場にわざわざ足を踏み入れなくても、個人的には好きなだけプログラミングで作りたいものを作りながら、その時間の中でより多くのことを学び、その学んだことを知識としてアウトプットすることが仕事になっても、それはそれでフリーランスとして成り立つだろうと考えているのです。

プログラマーだからプログラミングを仕事にしなければいけないとか、デザインスキルを学び、より洗練されたWebコンテンツが作れるようにとか、インフラに関する技術を全てのクライアントに合わせて向上させていく、なんてことを続けているよりも、本当にやりたいことに舵を切るようにしてみると、案外仕事は自然と増えてくるということに気づいてからは、かなり気がラクになりました。

クラウドソーシングをうまく活用すれば、外でストレスフルな環境で働き続ける必要もなければ、無駄な人間関係を増やす必要もありません。

完全に個人的な価値観で生活を続けていますが、余計なものを取り除くことで、家族との時間や夫婦の時間を大事にすることができる方が、より充実した毎日を送ることができるというのはフリーランスの特権でもあります。

フルリモートにこだわる理由

フルリモートで働こうとする人は、多くの場合、人間関係が苦手だったり、会社で働くことを嫌ったり、家族の時間を大事にしようと考えていることがほとんどです。

私も同じように考えています。学生時代の頃からアルバイトで働き始め、正社員として短い期間ではあったものの、社会の中で働いていた経験はあります。ですが、その間一度として満足にいく生活を送れた記憶はありませんでした。

それは私の生まれながらの性格であったり、人格が関係しているというふうに、今は思えるようになったことで、大多数の意見を参考にする必要はないと割り切れるようにもなりました。

おそらく現代人にとって、社会の中での自己実現に向けて、どのようにして働けば良いのかだったり、人間関係の築き方などを試行錯誤していると思いますが、フルリモートという環境は、新たな発想を生み出すには確実に必要なものであると考えています。

妻が気づいた!「もしかしてASD?」

私がなぜこうまでしてフルリモートにこだわるのか、社会に馴染めないのか、もうかれこれ20年以上は考え続けてきたことでしたが、毎日側で支えてくれる妻がその問題をあっさりと解決してくれたのでした。

私はなんとなくそんな気もしていたのですが、多くの言動を振り返ってみると、どうやらASDなのではないかという結論に妻は至ったのです。

自閉症スペクトラムというふうにも呼ばれているASDですが、発達障害のひとつで、症状がひどい場合は、介護が必要な場合もあります。私の場合はそこまでの症状はないものの、強いこだわりがあったり、コミュニケーションに問題があったり、過集中や聴覚過敏といったASD特有の特徴を以前から持っていることを考えると、妻の憶測はかなり現実味のあるものだと受け入れざるを得なかったのです。

家族の支えで成り立っている環境

ASDの特徴を持つ私にとっては、社会に上手く馴染めないという理由がはっきりしたことで、落ち込むよりもむしろ気持ちがスッキリとすることができました。

なにをやるにしてもASD特有の考えを持ってしまっていたり、相手と上手く意思疎通ができないということをいつまでもネックに思っているよりも、必要最低限の環境を大事にすることが重要ではないかと考えるようになってからは、普段の物事の捉え方も大きく変化していきました。

それに加えて、家族からの理解をだんだんと得られるようになったことで、できるだけストレスを溜めないような生活を送れるようになったことは、妻だけでなく、子どもたちや母にも感謝をしなければいけません。

私にとってASDの特徴というのは、ネガティブに捉えることもできればポジティブに捉えることもできるものです。

特に過集中に関していえば、プログラミングなど細かな作業に集中する必要がある仕事は、プラスに働かせることのできる特徴でもあります。振り返ってみると、子どもの頃から絵を何時間でも描くことができたり、パソコンを使っての作業が苦にならなかったのも、このASD特有の特徴を生まれながらに持っていたからなのかもしれません。

ひとりではなにも達成できなかった

会社員として社会の中で自己実現を可能にするとしても、ひとりの個人事業主としてどうにか自己実現を可能にするにしても、ひとりでは実現することは難しいものです。

そう考えれば、別に会社員として働くことにこだわる必要はなくて、自分が強みを活かせる環境に身を置くことだったり、好きな人たちと生活できるようにするということを大切にしていくだけでも、自分にとってはデメリット以上にかなり多くのメリットが得られているように感じています。

フリーランスとして活動しようと周りに宣言していたことなんかは、色々と批判されたり否定されてばかりでした。その頃は今のようにプログラミングができるわけでもなければ、フルリモートで仕事を得られる仕組みも作られていなかったので、当然ではあったのですが、その決断自体は間違いではなかったし、なにより自分の決断を受け入れてくれた家族がいて、今の自分があることに変わりはありません。

まさにこのありがたい関係を維持することこそが、社会で余計な人間関係などに時間をかけるよりも大切なことではないかと考えています。

クラウドソーシングとの出会い

インターネットがつないだ可能性

ではここからはどのようにしてクラウドソーシングを活動の中心として捉えるようになっていったのかを解説していきます。

クラウドソーシングを活用するには、言うまでもなくインターネットの存在が不可欠です。誰かに仕事を持ってきてもらい、その仕事をこなせばあとは自分以外の誰かがネットを使って納品してくれるなんて仕組みは私にはありません。

同じ個人事業主でもそのような仕組みを持つ人がいるかもしれませんが、私はできるだけ自分の仕事は自分で把握してスケジューリングしておきたいので、仕事の受注も直接引き受けるようにしています。

クラウドソーシングを活用していく多くのクリエイターの多くが、個人的に仕事を受注していることがほとんどであり、仕事を依頼してくるクライアント側の方は、個人だけでなく企業も含まれるため、その都度対応方法には気を配るようにしています。

インターネットとクラウドソーシングが結びつくことで、個人としての活動も、より多くの人たちとつながることが可能になったことは、フリーランスにとってはとてもありがたいことでした。

その発展があったからこそ、私はフリーランスでもやっていけると確信したところもあります。どんな仕事であろうと、この仕組みを活用することで、実績を積み重ねていければ、会社に依存する必要もなければ、ひとつのクライアントに依存する必要もなく、自由に仕事を選ぶこともできるし、難しい仕事にチャレンジすることだってできるようになったのです。

海外と国内の認識の差

日本でクラウドソーシングが活用され始めた当時を思い返してみると、海外の状況を参考にしてみた時に、何でこんなに日本は遅れたことをやっているんだろうという考えを持っていました。

アメリカなどではどんどんフリーランス人口が増えていて、クラウドソーシングも頻繁に活用され始めているというのに、日本ではフリーランスという言葉自体まだ浸透しきれていなかったのです。

それが逆に自分らしく活動しやすくできた理由とも言えるかもしれません。ほとんどの人がフリーランスとしてお金を稼ぐことができなかったり、生活できないと誤解していたおかげで、私自身は圧倒的な差別化を図ることができたのは確かな事実です。

プログラミングを同じ時間勉強するにしても、仕事の選び方は大きく変わります。まず、会社員では仕事を選べないわけですから、安定というものを得る代償として、多くの時間や選択肢、意思決定などを失うことになります。

そんな環境を捨て、あえてリスクを負う環境に身を置くことによって、お金や人間関係、時間というものを自由に扱えるようにするのがフリーランスでもあります。

まさにアメリカのように実力主義であったり、フリーダムな価値観を大事にしようとする考えにはとても共感することができます。ですが、日本人にとってはやはりリスクをできるだけ背負わずに、安定した生活を送ることが重要だという認識を持つ人がほとんどであるために、フリーランスのような働き方を選ぶ人は少数です。

その少数の環境に身を置く人は、「社会不適合者である」とか「変わり者だ」なんていう認識をする人もいるようですが、実際には実力主義を価値観の中に取り入れているのかどうかだとも考えています。

結局のところ、実力を高められない人、もしくは高めようとする意識のない人、低い人は、フリーランスには向いてなくて、会社で雇われて働いた方が確実に安定した収入を得ることができます。ですが、その収入が増えることもなければ、満足のいく仕事を得られることもまずないと考えて良いでしょう。

私にはそのような環境は自分にとっては適していなかったという結果論でしかないのですが、フリーランスとして活動しようと決めたことには、今でもなにひとつ後悔はしていません。

ほとんどのクライアントは個人だった

クラウドソーシングを活用したビジネス展開というのは、企業よりも個人での活用が頻繁に進められていて、それは日本でクラウドソーシングの普及が進み始めた頃から今なお変わらないことだと認識しています。

企業は主にエージェントなどを活用し、個人クリエイターを採用することに集中していて、その採用方法というのは転職や就職などの採用要件と変わらず、実績や経験を参考材料としていることがほとんどです。

企業からすれば即戦力を求めているが故に作られた採用要件であることは理解できますが、フリーランスにとっては自分の実力を実績や経験で本当に示すことができるのかという疑問があります。

フリーランスが確かな技術を示すには、小さく始めた仕事をコツコツと積み重ねていき、その中で培われた知識や技術を、いつでも発揮することのできるということを示せなくてはいけないと考えています。

ライターであれば、過去に制作したコンテンツに加えて、即席でクライアントが求めているものに対してのアイディアを出せなくてはいけないし、プログラマーであれば、インフラストラクチャなどの設計案を出したり、サンプルとなる開発案をいつでも提案し、尚且ついつでもスムーズに作業が進められる準備をしておく必要があります。

会社員であれば、慌てて作業に取り掛からなくてはいけなくても、誰かのサポートによってひとまず作業を進めていくことはできるでしょう。しかし、フリーランスのように個人として活動する以上、いつでもクオリティーの高い仕事を行うには、レベルの高い準備が必要なのです。

とはいえ、残念なことにこのレベルの高い準備については、個人のクライアントから理解されることは稀であり、その点からするとどれだけ努力したかなどに重きを置くべきではなく、今なにがやれるのかをとことん追求していくことが大切だとも考えています。

一部の人たち以外、誰も稼げるなんて考えていなかった

クラウドソーシングという環境はまだ2022年現在でも、それほど日本では普及が加速しておらず、その言葉だけは知っていたとしても、個人や企業の間で活用されることも少ない状態が続いています。

在宅需要が高まっている今の時代であっても、そんな環境を導入して稼げるなんてことを信用してはいないのかもしれません。やはり仕事というのは会社に勤務してナンボであると考える人も多いのではないでしょうか。

上司の指示に従って、作業を制限されたり、設計を指示されたり、決められたルールに沿って行動できる環境に身を置いておかなくては、どうしても仕事ができないという人の方が実際には大半なのです。

世の中でフリーランス人口がそうでない人を上回るなんてことは、当分起こらないことでしょう。そして、フリーランスが稼げるなんてことを理解する人も、同じように増えることはまずないのです。特に日本ではそうでしょう。

ですが、一部の人たちの間では、フリーランスでも稼げるという自覚が、経験に基づいて理解できているため、可能性の低いことでもなければ、当たり前に働き方のひとつとして続けることができるのです。

理想と現実のギャップ

とはいえ、誰でもフリーランスとしてクラウドソーシングを活用して、稼げるようになるのかというと必ずしもそうだとはいえません。やはり、向き不向きもあれば、市場需要を把握することができなければ、仕事を増やすことも難しくなります。

フリーランス人口は少ないものの、副業者などは増加傾向にあるために、限られたクライアントの提案を、同じ土俵の中で取り合っているのが現状です。つまり、フリーランスと副業者の間で競合性を高め続けているのが日本のフリーランス市場の現状でもあるということです。

その競合性が高まる市場で、どこに抜け目があるのかを考えられないうちは、理想と現実とのギャップに苦しむことになります。私自身、市場需要に目を向けられていない期間は、ほとんど仕事も得られず、ただ苦しみながらも勉強を続けているくらいしかやれることがありませんでした。

SNSを使って情報発信などを続けていたところで、仕事が増えるなんてことはまずあり得ないのですが、それが当たり前だと考えられていた当時、ほとんどのクリエイターは情報発信を続けていました。ですが、どの人も実際にいくら稼げているのかも分からなければ、名も知れぬような人たちの集まりでしかなかったのです。

ある程度の経験を重ねた今なら分かることですが、ある一定量の努力を積み重ねている人と、そうでない人との差はかなり大きなものであり、努力を積み重ねられていない人たちが作り出すコンテンツはオリジナリティーにかけ、似通ったものしか作り出されないのです。

そんな状態で仕事が得られるわけでもないと気づいた頃から、私はとにかくその市場の中でも飛び抜けられるような知識と技術を磨く必要があると自覚したのを今でも覚えていますし、妻から飽きられてしまうほどに、何度も何度も自問自答するかのように繰り返し話してしました。

可能性の模索

クラウドソーシングでの活動範囲というのは、ある程度限定された分野の中で決められていくものの、それでも時代の流れに沿って新しい分野が次々に生まれてもいます。

数年前にはメタバース分野はまだ作られてはいなかったし、暗号通貨に関するアウトプットが行われるような場もそれほど多くは求められてはいませんでした。しかし、近年では最先端技術に関する情報提供だったり、コンテンツ制作を求められる機会も増えています。

このような可能性を模索すると同時に、自分の活動としても取り入れていくためには、ある程度の独学による情報のインプットであったり、スキルとして身につけるためのアウトプットが必要になります。なにもせずに、新しい分野の仕事に取り組み始められるわけでもありませんから、やはり時間をかけて少しずつでもレベルアップをしていくことが重要になってきます。

フルリモート環境を築くためのプラットフォーム

クラウドソーシングを活動の中に取り入れることによって、簡単にフルリモート環境を構築することが可能になりました。私の場合は、会社に依存せず、家族との時間も大事にできるような働き方を追求したいと考えていたので、フルリモート環境が必須項目だったのです。

ですが、企業側の要望の大半が常勤でなければ採用は難しいということ。そして、数年組織の一員として専門分野での勤務経験があることが、採用の最低条件とされている場合が多いため、私にとってはあまりにも不利な状況でもありました。

それはフリーランスとして活動を始めた頃から、今なお変わりのない話であり、どれだけプログラミングスキルを向上させたところで、企業側は経歴重視での採用を重視しているため、活動の方向性を間違えてしまえば、無駄な時間ばかりを増やすことになってしまいます。

そのような状況を全く違った方向に向かわせる(フルリモートの導入)ためにクラウドソーシングを取り入れることはかなり重要なことでした。幸い企業もクラウドソーシングを活用し、仕事を依頼するという機会も増え始め、フルリモートであっても仕事を得て、しっかりとお金を稼ぐことも可能になったのです。

とはいえ、フルリモート環境が構築できたからといって、すぐに仕事が得られるわけではありません。それまでにはいくつもの試行錯誤があり、また失敗と成功の積み重ねがあった上での環境構築が必須でした。

今の時代は誰にとっても、自分が望む働き方を構築するためのプラットフォームが用意されてはいるものの、実際に仕事として取り組むための知識や技術が不足しすぎているがために、なかなか仕事にありつけないという人は多いのです。

しかも、仕事が得られるようになるレベルに達するには、一般的に考えられている以上の努力が必要になるということをほとんどの人は知りもせず、ただひたすらに成功する秘訣やコツばかりを追い求めがちです。

私が今フルリモート環境で仕事が得られる状況に至っている理由として、まず成功の秘訣やコツといった答えを求めなかったことが考えられます。私は独自に市場分析を行い、今の自分にできること、そしてこれからどんなことをやっていく必要があるのかといった戦略立てを常に意識して続けていました。

全てが上手くいったわけではありませんが、その戦略立てによって行動し続ける以外には結果を出す方法はなかっただろうということは常々考えていたのです。今振り返ってみても、その考えは間違ってはいなかったと確信しています。

稼げるようになるまでに試したこと①

知識ゼロでホームページ制作してみた

フリーのプログラマーとしての活動の前に、とにかく会社に依存しなくても仕事が得られる仕組みと作らなければいけない。そう考えた私は情報も知識もゼロの状態からのスタートではあったものの、インターネットを使ってフリーランスに必要なものは何かをとにかくかき集めることに必死になりました。

そこでまず得られた情報というのが、ホームページでした。私がフリーランスとして活動を始めようとしていた頃は、今の時代のように無料でホームページが作れるサービスはまだそれほど多くもなく、自力で開発する必要がありました。

プログラミングとは言えないレベルでしたが、数冊の参考書を購入し、とりあえずホームページを作ってみようと考え、HTML、CSSを使ってのホームページづくりを始めました。それが今現在のプログラマーとしての活動の始まりでもありました。

この時はまだマークアップ言語やフロントエンド言語、バックエンド言語といった言葉も知らず、自分が作りたいものを作るための知識だけを求めて、情報をインプットし続けていたので、それほど深い概念も知らぬままに行動し続けていました。かえってそれが行動速度を早めたのではないかと考えています。

もしこの時にプログラミングの深い概念までも学ぼうとしていたならば、おそらくホームページを作るだけでもかなりの時間が必要になってしまっていたでしょう。ですが、幸いなことに簡単なホームページを作成し、そのプログラムをサーバーにアップし、ネットで確認することができるまでには、徹夜して2日程度で仕上げることができました。

このように短期期間で作業を片付けてしまうのも、おそらくASDの特徴の一つである過集中が影響しているのではないかと考えています。複数人の人にホームページをネット上で公開したことを伝えると、かなり難しいことをやっているかのような印象を受けているようでした。ですが、私個人的な考えとして、HTMLやCSSでのプログラミング自体は、それほど難度の高いものではなく、単純に「制作過程を進められるだけの集中力があるかどうか」という問題なだけのように感じました。

ホームページで定期的な情報発信

アメブロやFacebookなどのSNSもしくはブログサービスは、私がフリーでの活動を始めた時点ですでに誕生していて、世間的にも十分認知されていましたが、せっかくホームページを作ったのだから、ここで情報発信を始めた方がホームページの価値も高まるだろうと考え、できるだけ定期的にサイトを更新するようにしていました。

時には自分以外の人たちからの情報を掲載したり、漫画を書いてサイトに載せたりしていました。今となっては何でそんなことをしたのだろうと思ってしまいますが、思い返してみると、私は元々プログラマー志望ではなく、イラストレーターやコピーライターに憧れていて、その願望が影響してホームページの仕組みを複雑なものに作り上げてしまっていたように感じます。

SEO対策についての勉強もしていましたが、自分が何をやるべきなのかが明確に定まっていなかった時期でもあったので、この迷走期間には本当にいろんな実験を繰り返していたものです。そのおかげでコーディングスキルは向上したものの、収益化に結びつくことはほとんどありませんでした。

アクセスアップの為にSNS運用をするも…

SNSもホームページと似たような認識を持っていて、定期的に更新を続けることで、ホームページへの流入を促せることは理解していたものの、自分にはあまり向いていないようにも感じていました。

SNSの本来の目的というのが、「新しいコミュニケーションの形」なのだとすると、私はそもそもコミュニケーションが苦手なので、SNSを使ったところで別に人との会話を楽しむようなことはほとんどなかったのです。

さすがに昔仲の良かった友人とつながり合えることがあれば、多少交流の機会も増えましたが、それでも長続きはしませんでした。それまでに空いてしまっていた期間というものは、SNSを使ったからといってそう簡単に埋まるものでもないのだろうと自覚しました。ですが、今現在でもSNSに依存してしまう人は多いようです。

大事なのは自分が何をやりたいかを明確にすることだと考えています。SNSを上手くビジネスに活用することができている人もいます。私はSNSを活用するよりも、自分が作り出すコンテンツを上手く活用していきたいと考える派です。

クリエイターとして、プログラマーとして、独自の開発によって作り出したもの、それが形として把握することが難しいソースコードのみのファイルであったとしても、その価値を高められるような仕事を進めていった方が、将来的にも価値があるのではないかと今となっては考えているのです。

YouTubeでの情報発信は諦めた

プログラマーとしてYouTubeを活用するにはいくつかの方法があり、スキルアップの過程を発信したり、身につけた知識や技術を発信する、という方法が考えられますが、そのどれもがすでに多くの人が実践している方法でもあります。

つまり、YouTubeを使ったからといって自分へのメリットが必ずしも得られるのかというとそうではないでしょう。すでに競合性が高まり過ぎているYouTubeでの収益化などを目的に努力を重ねても、自分が本当にやるべきことを見失う原因にもなってしまいます。

であればいっそのこと情報発信を諦めた方が、自分の活動においてはかなりのメリットがあるように感じました。発信するプラットフォームを限定する。(もちろん独自に開発したプラットフォームを優先させる)限定した環境の中で自分にしかできないことは何かを考え、実践し続ける方が、市場価値も高めていけるのではないかと考えたのです。

すぐに結果を出せるようになったわけではありません。この後もまだまだ実験の繰り返しは続きました。かれこれ3、4年は無駄なことばかりを続けていたように感じています。ですが、その過程を経ているから今こうしてやるべきことに集中する大切さが理解できるのです。

PythonのDjangoを使ったアプリ開発の勉強を開始

フリーランスとしてゼロからのスタートを始めてはみたものの、なかなか収益化に結びつくようなものが作り出せなかった私は、ひとまず生活資金が底をつきそうになってしまい、アルバイトでお金を稼ぐことにしました。

アルバイトという採用形態は本当によくできている仕組みで、採用に関するハードルはそれほど高くもなく、採用後も正規雇用者に比べ、辞めたくなれば割と辞めやすい立場にあります。それでも上司に何も言わずに辞めてしまうことは良くありませんが、恥ずかしながらそのような行動を起こすことも私にはありました。やはり社会というものにどうしても馴染めず、周囲からの期待や要望に応えられないというストレスから現実逃避してしまうことがよくありました。

そんな時間が流れる中で、私はどうにかして仕事になるようなスキルを身につけなければと考え(もちろんフリーで活動できるように)、ちゃんとプログラミング言語を勉強しようと心に決めたのです。それはフリーとしての活動を決断してから4、5年くらい経ってからの話でした。

まず何をやったのかというと、基礎も学ぶことなくPythonのフレームワークDjangoを使ったアプリ開発の勉強でした。

この話をフリーランスエージェントの採用担当の方に話すとかなり驚かれるのですが、不思議なことに多くの人はいきなりフレームワークを使った開発を独学で勉強することはほとんどないようです。

理由として学習ハードルが高すぎること。そしてDjangoというフレームワークがまだ日本でそれほど需要が高くないということが考えられるようです。

とはいえ、私はPythonがこれからの時代、社会に役立つ機会が増えていくだろうという予測を立てていたので、関連するライブラリやフレームワーク、環境等を調べ続け、その中でも重要だと考えたDjangoからプログラミング学習を始めることにしたのです。

参考資料は公式ドキュメントでした。当時はまだDjangoの参考書が本屋には並んでおらず、ネットでさえ購入することができませんでした。最近は数冊の入門書を確認することができますが、それほど需要が高まっていなかったせいか得られる情報も少なかったのです。

とはいえ、1ヶ月もすればDjangoでの簡単なアプリ開発を終えることができました。ドキュメントで公開されている小さな投票アプリを完成させたことで、自分にもプログラミングができるという自信と実感が湧き始めた大きなきっかけでもあります。

もし、その時に勉強するのを諦めていたら、おそらく今こうしてのんびりとプログラミングを楽しみつつ、愛犬と戯れる時間を作ることもできていなかったかもしれません。

しかしコロナの影響で市場の需要はWebサイト制作中心に

Djangoでの初めてのアプリ開発を終えたといっても、まだまだ実力としては仕事レベルには達していないことは自覚していました。クラウドソーシングを活用して、どうすれば仕事に結びつくのかを一旦は考えることにしました。

Djangoが使えるようになったとしても、海外のようにたくさんの案件が出されているわけでもない日本で、どのようなスキルに需要があるのか。どんなコンテンツづくりに需要が高まっているのかを分析するうちに、クラウドソーシングでの開発案件のほとんどは、Webサイト制作であることに気づきました。

さらに詳しくいえば、ランディングページの作成、コーポレートサイト作成、WordPressの導入、この3つを中心としてクラウドソーシングでは案件が増え続けていたのです。

なぜこの3つの分野を中心に案件が増えていたのかというと、考えられる原因として世界中で感染拡大が広がったコロナウイルスの影響が考えられます。コロナウイルスの影響により、世界中の企業や個人はデジタルトランスフォーメーションの導入が強く求められるようになりました。

そのことが影響して、インターネットを活用したビジネス展開がどんどん進んでいくにつれて、Webコンテンツ制作に関する案件が増えていったのだと考えています。

稼げるようになるまでに試したこと②

BootstrapとWordPressを導入したホームページづくりに注目

クラウドソーシングでの需要が変化する中で、私が特に注目したのが「WordPressの導入」です。ただWebサイトをマークアップ言語で作成するだけでなく、WordPressを導入することで、クライアントに更新作業を容易にしてもらうという狙いがありました。尚且つBootstrapというライブラリを活用することで、作業効率を早め作業期間を短くすることを可能にすれば、案件が得やすくなるのではないかと予想したのです。

もちろんその時点ではWordPressもBootstrapについても、なにひとつ知識を持ち合わせていなかったので、ここからまた2ヶ月ほどの独学期間に入ることになりました。当然収入はゼロだったので、妻にはかなり生活面での負担を抱えさせてしまっていたことは申し訳ない気持ちで一杯でした。それでも妻が理解してくれたおかげで、その後の活動においては、この新たなプログラミング学習によって、劇的にフリーのプログラマーとしての人生を大きく前進させることができたのです。

いってしまえば、WordPressでバックエンドをプログラミングし、Bootstrapでフロントエンドの開発が可能になったことで、クラウドソーシングでの案件が受注できるようになりました。当時は実績もゼロ、職務経歴もゼロ、コネもゼロでした。

それでもプログラミングを使った仕事が得られたというひとつの積み重ねは、のちにフリーランスとして、プログラマーとして非常に重い貴重な経験となったのです。

専門知識を活用してライター業を始める

プログラミング学習を進めていき、クラウドソーシングを活用して案件が得られるようになったことで自信を徐々に取り戻していくことができたわけですが、自分と同じような戦略を立ててビジネスを進めている人が増えているということも気になっていました。

いくら在宅需要が高まっているとはいっても、クライアントからの案件数はそれほど増えておらず、フリーランスや副業者などのクリエイターばかりが増え続けることによって、プログラミングスキルを活かした案件は競合性が高まり始めたのです。

ほんの1年くらいのあいだでも、案件への提案数は倍以上に増えてしまい、そう簡単には仕事を得られなくなってしまったので、これではいけないと身につけたスキルが活かせるような仕事で、他に収入源を作ることを考え始めました。

私の場合、2つ目の収入源として考えられたのは、「絵を描くこと」そして「文章を書くこと」でした。それはつまりイラストレーターやデザイナー、ライターといった分野に取り組む必要があることを意味しました。

私は元々絵を描くこと自体は好きだったし得意でもありましたが、仕事となるとどうしてもクライアントに合わせた絵を描くことができないこと、そしてデザインセンスが全く無かったことを自覚していたので、イラストやデザイン関連はやめておくことにしました。

では残ったライター業はどうかと考え、実際に募集されていた案件に提案を出してみたのです。初めてのライターとしての提案は趣味の園芸に関する記事作成でした。アルバイト時代に園芸関連の販売業を経験していたので、そこで学んだ知識が活かせるのではないかと考えたのです。

その初めての提案がまさか採用されたことによって、その後の活動にも大きく影響を与えることになりました。そこからIT関連の記事作成や副業、ネットビジネス、子育てなどに関する記事作成の仕事を依頼されることが増えることで、私のクラウドソーシングでの実績はどんどん積み重ねることができた結果、最終的な目標でもあったプログラミングに関するアウトプットを仕事につなげていくことになったのです。

ライター業での活動は思わぬ収穫の連続でした。必ずしも専門分野での仕事ばかりを増やそうとするのではなく、収入源になり得るものを分散していくことによって、点と点が結びつくようにして、活動の幅を広げることができたのです。

実際に取り組んだ案件

LP(ランディングページ)制作

ここからは実際にフリーのプログラマーとして取り組んできた仕事について解説していきます。私の場合はクラウドソーシングを活用した案件が中心となっていて、誰でも取り組むことが可能なレベルのものもあれば、ある程度のスキルを身につけておかなくてはいけないものもあります。その中でもわりかし簡単にこなせることで人気な仕事としてLP制作があります。

私自信LP制作は何件か受注経験があり、大半は安い報酬で短期間のうちに納品を求められる場合がほとんどでした。そのうち取り組んだコンテンツの内容としてはITベンチャー、プライベートサロン、レンタルカーサービス、コンサルタントなどがあります。

報酬額は2万から5万程度でHTML、CSS、JavaScript、そしてそれらが含まれたライブラリであるBootstrapが使えるのであれば作業可能なものがほとんどでした。

制作期間に関しては大抵は7日間もあれば作成可能なものばかりです。クライアントによってはデザイン制作までも含まれる場合もありますが、私はデザインに関しては手を出さないようにしているので、コーディング作業を中心に受注しています。

WordPress導入

LP制作に慣れてきたら少しレベルを上げてWordPress導入案件への提案も増やしていきました。WordPressを使えるようにするにはPHPの知識が必須になります。それに加え、バックエンド開発も含まれるため、サーバーの確保と同時にデータベースの作成も必要になるため、LP制作よりもハードルが高くなります。

報酬はより高度なスキルが求められるのと、時間的な制約も多くなるため、LP制作案件の倍以上になります。

とはいえ、多くのコーダーは最低でもWordPressが扱えるだけのスキルは身につけているため、当然ながら案件獲得の倍率は高くなっています。市場が飽和状態になっていることも影響しているため、差別化を図ろうと思えば、Webサイトの評価を高めるためのSEO対策に関する知識やデザインスキルを身につけておくことも重要になります。

ですが私の場合はそこまで深掘りをしようとは考えておらず、一度は一通りの勉強を済ませてはいるものの、ポートフォリオ作成や情報発信による信用構築にあまりにも時間がかかり過ぎてしまうことが嫌だったので、そこまで深掘りすることはありませんでした。その代わりに、アウトプットを収益化するための仕事を得る手段として、ライター業を始めることにしたのです。

電子書籍の執筆代行、及び表紙デザイン制作

今でも忘れはしません。2020年の秋頃に大型の台風が日本に上陸しました。その台風の規模は観測史上の中でも類のないほどの規模の大きさでした。

その台風が日本に上陸し我が家を襲っていた晩のこと。子どもたちが妻と一緒にようやく寝静まった後で、私は一人作業部屋にこもり、こんな時こそ取り掛かれるような仕事はないものだろうかと模索していたのです。

とてもじゃありませんが、風の音も強く安心して眠れる状況でもありませんでしたので、仕事でも探そうかなという気軽な気持ちで仕事を探していました。すると、報酬額は高くないものの、自分の知識の範囲内でも取り組める案件がいくつか見つかったのです。

ひとまずはいくつかの案件に提案して少しずつライターとしての実績を積み重ねていこうと考え、その日からは小さな実績づくりをコツコツと積み重ね始めました。初めてのライターとしての仕事は記事単価700円ほどでした。その仕事は今となっては記事単価1,600円から20,000円と高額案件を頂けるようにもなっています。

それと同時に電子書籍の執筆時には、表紙の作成も受注できるようにしており、主にイラスト制作を中心とした表紙作成の案件も得られるようになりました。おそらくですが、実績もない私でも専門とする分野以外の仕事が得られるようになったのは、小さな実績を積み重ねたことが信用構築につながったのではないかと考えています。

初めから大きな案件を得ようとすると、ハードルが極端に高まり、いつまで経っても仕事を増やしていくことができません。ですが、小さな積み重ねであっても、蓄積されていく実績はどんな仕事であっても評価に結びついていくというのがクラウドソーシングの良いところでもあるのです。

プログラミング知識を活かした関連記事の作成

プログラマーとして確かな立ち位置を作り上げていくには、プログラマーとして、開発案件などの実績を積み重ねていくことが重要なように思われがちです。しかし、私は必ずしもそれだけがプログラマーの立ち位置を作り上げていくとは考えていません。

今の時代は例え世界で活躍していないプログラマーだとしても、自分がターゲットとする顧客に対して、小さく深くアプローチを続けていくことで、確かな立ち位置を作り上げていくことができると考えています。

その方法の一つとして、プログラマーとして身につけた知識をアウトプットすることが重要だと考えています。それが例えクライアントが出版する電子書籍だろうと、運営するメディア内のコンテンツの一部だとしても、私の書き記す情報が誰かの役に立つようになれば、それはそれでプログラマーとしての価値を見出すことができるようになるのです。その状態を維持することで、私は自信を失うことなく、コツコツとスキルアップを続けることができています。

妻が私のことを「自称プログラマー」だとふざけて言ったとしても、子どもたちから何をしているのかなかなか理解されなかったとしても、私は確かにプログラマーとして自分が身につけている知識や技術を何かしらの形でアウトプットすることで収益化することを可能にしています。

それが可能な限り、私はプログラマーとして行き場を失うことはないわけですし、アウトプットの場が存在するということは、必要性に応じてインプットも必要となるため、さらに好奇心に沿って多くのことを学び続けることができるのです。

稼げなかった時期の分析

正しい努力の積み重ねが足りていない

努力というものは、目標を達成するために誰でも必要なものであると考えられています。しかし私はその「努力」というものに対して、一時期やりきれない気持ちでいました。

日本人の場合「努力」とは、「我慢する」「克服する」「耐える」、そんな印象を持っているように思えるのですが、このような努力では人並みと変わることはないだろうと考えていたのです。それでは努力をしただけで人並み以上の目標を達成することはできないということになります。

しかし、一部の人たちに関していうと、人並み以上に結果を出せる人というのは、多数の人が「努力」と考えることを「努力」と認識しない傾向にあります。つまり、努力だと認識しながら勉強したり、仕事に取り組んでいる間は、正しい努力を積み重ねることができないでいるということになります。

さらに具体的にいえば、誰かの真似をしていたり、同じようなことをいつまでも繰り返している暗記のような時間を積み重ねたところで、目標を達成させることはできないのです。

対照的に努力だと認識もせずに続けられることを考えたときに、私はとにかく無我夢中でプログラミングの参考書を読み漁ったり、なんでもプログラミングコードを書いてみるという習慣がいつの間にか作られていました。

その習慣というのは、できるだけ早くフリーランスとしてお金を稼げるようになりたいと考えていたのは確かなのですが、それ以上にプログラミングを楽しんでいたからこそ作られていった習慣であると考えています。

このように好奇心を大事にしたり、楽しめること、好きなことを続けていれば、それは「努力」だと認識せずとも、正しい努力の積み重ねを続けられるのです。

実際にその結果として、私は日本でまだ数少ないフリーランスとして、どうにかお金を稼ぎ、好きなことを仕事にすることができています。

生まれながらの素質には勝てない

この話の前半に私はASDではないかという話をしていました。ASDには過集中や聴覚過敏という特徴があり、その特徴それぞれにメリット・デメリットがあります。

プログラミングという作業は、長期的な集中力が必要です。つまり、ASDにとっては過集中を大いに活用することができるため、疲れ知らずでいつまでもプログラミングに取り組むことができます。ライターとして文章を書き続けることも苦ではないのです。

ASDは日本の人口の1割ほどなのに対して、9割の人たちはデスクワーク自体に苦痛を感じることさえあります。このような人たちがプログラミングやその他のデスクワークを長時間続けようとすると大きなストレスや疲れを感じやすくなります。

この違いというのは、生まれながらの素質であると考えています。デメリットばかりに目を向け続けてしまうと、メリットには気づけません。自分のデメリットだと思われがちな特徴をいかにメリットとして捉えることができるのかが目標を達成させるためには大切なのです。

そのことを真摯に受け止め、生まれながらの素質を生かそうとすることこそが、競合との差別化につながっていると考えています。

自称プログラマーの勉強法

プログラミング学習は独学中心

私はプログラミングを誰からも教えてもらったこともなければ、オンライン学習をやった試しもありません。基本的には参考書を読んだり、ドキュメントを参考にして、サンプルを作りながら勉強を進めています。

プログラミング学習で大事なのは、コードを実際に書いてみることですが、そのほかにも昔から読み続けられている古典書を読んでみることも、同じように重要であると考えています。

古典書の中には古い情報やコードも当然含まれていますし、現代のようなクラウド技術を駆使したものを説明しきれていないこともよくあります。ですが、それ以上にプログラマーやエンジニアにとって重要な考え方、プログラムの設計、開発、テスト、運用・保守といった多くの基礎概念を教えてくれるものばかりです。

誰でも簡単に身につけることができるスキルを学んだとしても、競合性の高い土俵でいつまでも競い合うことになってしまいます。当然クラウドソーシングでの案件の獲得は倍率が高まることになります。

そんな学び方よりも、時間がかかってしまってもしっかりとした専門知識を身に付けることが将来的にも役立つことが多いと考えています。

好奇心を大事にする

私が独学での勉強を進めていく上で大事にしているのが「好奇心」です。好奇心がなければ学びを深掘りする意欲も湧いてこないし、すぐに飽きてしまうこともあります。

好奇心を持つことのできるものに関しては、何時間でも集中できてしまうので、できるだけ興味のあることはある程度情報を追ってみたり、実際に作業してみることで自分に役立つものかどうかを確認することにしています。

この好奇心と過集中な性格を掛け合わせることで、大多数の人ができないような正しい努力を続けることだったり、普通であれば不可能である短時間でのプログラミング学習を可能にしてしまうことができるのです。

自称プログラマーのこれから

達人になれたらもっと楽しいだろうなぁ

プログラミングを今以上に巧みに操ることができるようになれば、今以上に可能性を広げることができるだろうと見込んでいます。その可能性というのは単にプログラマーとしての可能性を広げるだけでなく、ライターとしてだったり、フリーランスとしての価値を高めることで信用性を高めることにもつなげていくことができるはずです。

そのためにも毎日の小さな積み重ねがとても大切で、その積み重ねを大事にできなければ大きな成長もあり得ません。エンジニアを名乗ることは避けるにしても、自分の実力と実績をフリーランスとして社会に示すことで、仕事に困ることなく、生活も安定させることのできるだけの収入を確保することもひとつの目標でもあります。

とはいえ、プログラミングの達人はそんな目標はさておき、とにかくプログラミングの時間を楽しんでいる結果、仕事を増やしたり、実績を積み重ねているのではないかとも考えています。私もそのような状況を目指して一歩ずつ前進していくつもりでいます。

家族とのんびり暮らせればそれで充分

実際には、私がフルリモートにこだわって働くのも、できるだけ時間を
大事にしたかったり、家族が安心してのんびり暮らせるようにしたいといった理由があります。

過去に飼っていた愛犬が亡くなる数ヶ月の期間に、私は毎日のようになんで会社にこの貴重な時間を捧げなくてはいけないのだろうと悩み苦しんでいました。

時間をお金で買うかのように、収入を削ってでも大事にしたいと考えていた、その命をどうすればもっと大事にすることができるのかとどれだけ考えても、実際にやれることは当時そう多くはありませんでした。

ですが、ようやくその頃に悩み苦しんでいた問題をどうにか解決させる手段を、今は手にしています。新しい愛犬、我が子、妻、親、家族みんなでのんびりと安心できる暮らしづくりには終わりはありません。

それぞれが成長する過程の中でじっくりも問題に取り組めるように、そして、お金や人間関係、時間の制約に縛られないような人生を送るために、これからも日々精進していこうと考えています。

おわりに

これだけ長々と話しておいて、私はプログラミングというものは副業でも趣味でもいいと考えていたりもします。それはなぜかというと、必要最低限の生活が守れるのであれば、収入源を必ずしもプログラミングにする必要はないと考えているからです。

幸い私の場合はライターとしての活動でも収益化が成り立っているので、無理にプログラミングを仕事かする必要性は無くなっています。とはいえ、プログラミングを続けることによって得られるメリットはかなり大きいものがあるため、副業や趣味と同じような感覚で続けることが楽しくて仕方がないのです。

そんな活動を続けているから、妻からは「自称プログラマー」などという肩書きをつけられてしまうし、自分でも納得をしてしまいます。おそらくほとんどのプログラマーも私と同じように、プログラマーであることを名乗りつつ、本職として活動の中心においてはいないという人は世の中たくさんいるのではないかと考えています。

Apple社の成功に大きく影響を与えたエンジニア、スティーブ・ウォズニアック氏もまたプログラミングは副業として続けた方が楽しめるといった話が自伝書で語られています。

日本はまだまだITに関する進歩が遅れています。プログラマーの需要も高まり続けるに違いないでしょう。ですが、多くのプログラマーを目指す人たちやプログラマーであり続けようとする人たちが、どうか制約を強めすぎず、自由な発想で多くの富が得られるような活動が続けられることを願っています。

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この記事の監修者

基礎知識も無いままにPythonのフレームワークであるDjangoを使ったアプリ開発を独学で完成させたことをきっかけに、2020年からフリーのプログラマーとして活動開始。現在はクラウドソーシングを活用して、Webコンテンツの開発、執筆作業を中心に、個人から企業まで幅広いクライアントからの依頼をこなしている。好きなプログラミング言語はPython。AWSを活用したインフラ構築やDevOpsの導入についても追求している。

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